上場企業の経営者まとめ

上場企業の経営陣の方々がどのような方なのかをまとめた記事になります。一部昔のニュースの記事も転載しますが、その際は情報元を記載させて頂きます。特に就活生の方々、入社後のアンマッチを起こさない為にも経営陣の羅針盤をあらかじめ知る為の一つのツールとしてお使いください。たまに息抜きに全く関係のない記事も日常の記事も書こうと思います。

株式会社日立製作所 代表執行役 執行役社長兼CEO 東原敏昭さん

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画像は下記のサイトから引用

日立の東原敏昭社長、「次期中期経営計画はLumadaを核に推進」 | 人工知能ニュースメディア AINOW

 

M&Aや事業育成で世界1位を意識

 --2018年の抱負を

 「18年度は3カ年の中期経営計画の最終年度で売上高10兆円、売上高営業利益率8%以上、最終利益4000億円を目標に掲げている。売上高はM&A(企業の合併・買収)のタイミング次第だが、利益にはこだわり、グローバル企業へさらなる進化を遂げる1年にしたい」

 --中計では総額1兆円のM&A資金を確保しているが、7000億円程度は手つかずのままだ

 「水面下で動いているものはずいぶんある。IoT(モノのインターネット)の基盤技術『ルマーダ』を活用して顧客の課題解決を図るパートナーになるのが日立の方向性だが、顧客と接する営業やコンサルの部隊がまだまだ弱いので、強化したい」

 --収益拡大に向けた施策は

 「世界最高速のエレベーターを持っているが、世界1位を意識した事業の育成やM&Aを進めたい。また、2桁の利益率を出している世界の競合と見比べながら、構造改革を常にやらなければならない」

 --19年度からの新中期計画での目標は

 「2桁の売上高営業利益率を極力目指したい。売上高の海外比率は5割を少し超えたくらいだが、欧米や中国などで事業をもっと伸ばさなければならない」

 

 --原子力発電事業は世界的に採算性が高くない

 「環境問題やエネルギーの安定供給、廃炉の人材確保などを総合的に考える必要があり、原発はベースロード(基幹)電源であるべきだ。日立にとっては英国で20年代前半の稼働を目指す新規原発計画をいかに成功させるかが重要。リスクを最小限にするため、現地開発会社への出資者を募って日立の連結子会社から外す方針で、投資して採算性がある形を作らないといけない。19年の最終投資判断まで予断を許さない」

 --日立、三菱重工業東芝原発燃料事業の統合や将来的な原子炉事業再編に向けた動きは

 「なかなか進まない状況だ。世界規模での原子力政策をどうするかの議論から始め、その上で日本のあり方を議論しなければならない」

 --神戸製鋼所の性能データ改竄(かいざん)問題の影響は

 「問題のある材料が納入されたのは鉄道中心だ。出荷段階でうちの製品検査を通しているので、顧客納入時点で品質に問題があるとは考えていない。コストありきでやると問題が起こる。トップとして損得より善悪と言い続けなければならない。日立の社内調査では倫理観に関わる話は出ていない」

【プロフィル】東原敏昭

 ひがしはら・としあき 徳島大工卒。1977年日立製作所。2010年日立プラントテクノロジー社長。日立製作所執行役常務、専務を経て、14年4月から社長、16年4月から社長兼最高経営責任者(CEO)。徳島県出身。

 

下記サイトから引用

www.sankeibiz.jp

 

【あとがき】

非常に優しそうな雰囲気の中にもキリっとされていて、一本の筋が通った方のように感じます。

目先の利益だけではなく、将来的な利益も含めて見通す事が出来るお方なのでは無いかと感じます。

アステラス製薬株式会社 代表取締役会長 畑中好彦さん

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画像は下記サイトから引用

年収2000万超の「革新人材」 アステラスの飛び級制|出世ナビ|NIKKEI STYLE

 

1957年、静岡県生まれ。

1.出身高校:静岡県立静岡高校
2.座右の書、好きな本:司馬遼太郎『この国のかたち』
3.尊敬する歴史上の人物:無回答
4.座右の銘、好きな言葉:誠実であること
5.健康法・ストレス解消法:自転車や徒歩で街を散策

 

 アステラス製薬社長の畑中好彦は、物腰柔らかな紳士である。そしてとてもダンディだ。だが、その丁寧な口調から出てくる言葉からは、芯の強さ、頭脳の明晰さが伝わってくる。

 3月末に社長就任を打診されたとき、即座に受諾の返事をした。

 「マネジメントの一員として、常に責任を負っているという覚悟はありました」

 ある意味では包み隠しのない率直な答えだ。前社長の野木森雅郁会長は、畑中を指名した理由を「幅広い視点から、最適の判断を素早く下すことができる能力を高く買った」と述べている。

 アステラス製薬は、05年に山之内製薬藤沢薬品工業が合併して誕生した。畑中は80年に藤沢薬品に入社。両社の合併や10年に約3700億円を投じた米OSIファーマシューティカルズの買収など、エポックメークな案件では、事務方の取りまとめ役を務めてきた。

 大型合併には失敗も多いが、アステラスは合併の好例と評価されている。それはなぜか。

 「同じ目的を持った両社が一緒になった。当初から山之内でも藤沢でもない“アステラス・ベスト”のディシジョンを求めてやってきた。これがいまのカルチャーのベースになっていると考えております」

 違う会社が一つ屋根の下に入るのだから、軋轢はあった。

 「時には『社風が違うから一緒にはできない』という話も出てきてしまう。そういうことは気がついたら排除するようにしましたし、最後までそういう意識を持っておられる方は、新しいアステラスの価値観にはついてこられなかったのではないかと思っております」

 ソフトな語り口とは裏腹に、いっていることは一本筋が通っている。

 前期は主要製品の特許切れの影響を受けて減収減益だったが、業績はこれが底で、今期から回復に向かうという。

 目指す将来像は、実に明確だ。最上位に経営理念があり、それを実現するためのビジョン、ビジョンを具体化した事業戦略が筋道だってつながっている。

 経営理念は「先端・信頼の医薬で、世界の人々の健康に貢献する」。ビジョンは、いまだ治療満足度が低い複数の疾患領域(カテゴリー)に対し新薬を継続的に提供することによって、世界市場で競争優位を確立するビジネスモデル(=「グローバル・カテゴリー・リーダー」)の実現だ。そのため、旧山之内が得意だった泌尿器、旧藤沢が得意だった移植免疫、さらにいまだ治療満足度の低いがんの3領域に、経営資源を集中させる。

 「自社の研究開発をベースにして新薬のビジネスに特化しているのが、わが社の特徴です。私どもの規模で、資本とかリソースを分散させて勝つというイメージを、どうしても持てなかった。それで得意なところで勝負していこうと考えたのが、現在のモデルでございます」

 この3~4年、「非常な勢いでオンコロジー(腫瘍・がん研究)の領域に投資をしてきた」。だから畑中は「この投資の成果を株主、マーケット、さらに我々の従業員に示していくことが、まず一番の私の仕事」と自身の役割を任じている。

 「競争は一層激しく、スピードは速くなっている。私が、各部門長が、そして従業員一人ひとりが、与えられたミッションの中で、判断の質とスピードを上げていくことでいち早く成果に結びつける」

 今秋からはマネジメント層を育てる教育研修を始める。全世界の拠点から毎年20~25人ほど選抜し、グローバルなアステラスとしてベストな判断について議論させる。畑中自身も指導するなど、経営者の近くで考えてもらうのが狙いだ。

 新薬が医療現場まで送り出される確率は2万分の1といわれ、開発期間は平均で15年におよぶ。リスクは高い。

 「新薬開発では、長期間の投資というリスクがあります。さらに、商品の性質上、人の生命に関わるというリスクも潜む。これらをどう最小化するか。両面でのリスクコントロールが私に求められる」

 業界トップの武田薬品は、1兆円以上を投じてスイスの大手製薬会社の買収手続きを進めている。第一三共も08年に約5000億円でインドの後発医薬品大手を買収した。いずれも世界のメガファーマの後を追う戦略を取っている。

 これに対してアステラスは、理の人・畑中の下、独自のニッチ路線を突き進むことに迷いはない。

 

2011年9月27日の記事から引用

president.jp

 

【あとがき】

お顔を拝見するにとても知的な印象を感じる方ですが、文章を読むととても物腰柔らかな中に一本気の通っている方であると書いて有ります。

コチラには書いていませんが、現在の社長の安川さんに社長の代を譲るときもやはり電話でバシッとお伝えしたのでしょうか。だとしたらとてもカッコいいですね。

安川健司社長に関してはまた情報が増えてきたらおいおい記事にしようと思います。

武田薬品工業株式会社 代表取締役 社長CEO クリストフ・ウェバーさん

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画像は下記サイトから引用 

トップマネジメント|武田薬品グローバルサイト

 

みなさん、こんにちは。武田薬品工業の社長のクリストフ・ウェバーです。社員からはクリストフとファースト・ネームで呼ばれています。まずは自己紹介を兼ねて、私のこれまで歩んできた道について書きたいと思います。

私はフランス・アルザス地方ストラスブールの出身です。ドイツとの国境に近いアルプスのふもとで、少年時代は山登りばかりして育ちました。製薬業界に入ったのは、なんといっても医者だった両親の影響が大きいでしょう。姉もパリで心臓病の専門医の道を選びました。親族にも医者と大学教授が多く、子供のころから本を読むことが多かったです。

 

突然の「父と弟の死」
ある日、父の死と弟の死が突然、訪れました。その後の人生とキャリアを大きく左右した出来事です。一緒に山登りをしていた時に雪崩がおきて、父は私の目の前で亡くなりました。

私はまだ15歳。家族を背負わなければいけないという大きな責任を感じ、危険な高い山への登山はやめ、その代わり、勉学に集中するようになりました。その後、7歳年下の弟を車の事故で亡くしました。こうした悲劇が、人の命に関わる仕事を選ぶことにつながったと思っています。

大学では生物学と薬理学を学びました。薬理学と薬物動態学で博士号をとり、統計学も勉強しました。新薬の開発は実験の繰り返しですからね。ファイナンスも勉強しました。これは社長になったいま、すごく役にたっています。

初めての勤め先はオーストラリアのローカルな製薬会社でした。実はこれが私のグローバルな体験の第一歩。今でこそ仕事で世界を飛び回っていますが、両親が地元に根付いた医者だったため、20歳になるまでずっと同じ場所で暮らしていました。

英語は就職して初めて勉強したんですよ。スタートが遅いですよね。フランスの片田舎で生まれ育ったので、外国語の習得はそんなに必要なかったんです。

いま、日本人社員と話をするとき、英語で苦労しているようにみえます。「心配するな。英語が話せなくても自信をもて」と、いつも言っています。英語がほとんどできなかった私が言うのですから、説得力があるでしょう? もっと言えば、彼らが話す相手である社長自身が、フランス語なまりの強い英語を話しているのですから。

 

妻がいなければ・・・
オーストラリアで1年勤務したあと、グラクソ・スミスクライン(GKS)に移って20年ほど働きました。来日前はベルギー、シンガポールにいました。シンガポールではアジア太平洋全域を担当していたので、アジアの貧しかった国々が豊かになり、製薬市場が成長していく様子を肌で感じることができました。

これだけ世界を飛び回れているのは妻のおかげです。妻もフランス人ですが、アメリカで育った経験があり、複数の言語を話せる国際的な人なので、とても助けられています。滞在先の国々では、そのつど仕事を得てがんばってきましたが、そのうち働くことはあきらめてしまいました。

そのような犠牲を払ってでも私の仕事についてきてくれているのですから、本当に感謝しなければなりません。単身で平気な人や、やむをえず単身勤務を受け入れる人もいますが、私は全然そういうタイプではないので、妻がついてきてくれなければ海外で仕事はしていません。

日本は初めてですが、家族はこの国が大好きになりました。外国人にとって日本で暮らすことは難しいと、よく言われます。でも私たちがそう感じたことは一度もありません。

日本に来るまで8カ国に住んでいたので、新しい土地でもすぐ慣れてしまうという面もあるのですが、妻もたくさんの日本人の友人に囲まれながら素晴らしい経験をしており、すっかり馴染んでいます。

自分の性格を一言で表すと、「何に対してもオープンで、新しいこと好き」ということでしょうか。例えば来日すると決まった時には、さっそく歴史の本を読み、文化について学び始めました。知的好奇心は人一倍です。それと、だれかのことを知りたいと思ったら、その人とかなり時間をかけて議論しようとしますね。

壁を取り除きたいですから。それが幹部レベルだと、普段から顔をあわせているから容易にできるのですが、若い社員だとそうはいかない。だから私は若い社員と積極的にコミュニケーションを取るようにしています。


怒ったことがないんです
あと、怒ることがありません。キレないです。私が声を荒らげるところを目にした人はいないはず。精神的に安定しているのは山で育ったから。リスクや想定外のことに対して、相対化して落ち着いて分析できるからだと思っています。

武田薬品工業に来ることは考えてもいませんでした。すでにキャリア的には十分満足していたし、20年間、同じ会社に勤め、国際的な仕事も任され、成功を収めていたからです。

ところが武田薬品工業の幹部たちと何回か会っているうちに、この会社の可能性を感じました。可能性が高いということ、それはつまり、自分自身が何かユニークな「創造」をできるかもしれないチャンスがあることだと私はとらえました。もちろんリスクはあるのですが、本当の意味のリスクとは、そのチャンスを逃すことでしょう。

 

日本企業行き、周囲からは「反対の嵐」
ただ、日本企業の幹部になることに関しては、「引き受けるな」と周囲からたくさんの反対がありました。日本企業のいわゆる「外国人幹部」というのは、グローバルな視点からいうと、決して評価が高くないからです。

多くの外国人は成功せずに去っていき、逆にキャリアに傷をつけてしまっています。しかし、そういう反対にあうと、なおさらチャレンジしたいと思うのが私です。

いま武田の社員に必要なこと、それは日本にとって必要なことともつながりますが、「もっと冒険的になること」だと思っています。 皆さんは、それが何を意味するとお考えですか?

次回は、私自身の日本での体験から、チャレンジすることの大事さについてお話ししたいと思っています。

 

2017年8月15日の記事から引用

globe.asahi.com

 

【あとがき】

この方の凄いな、と思う所はご自身の良い経験も悪い経験もすべて丸ごと自分の成長の糧にしているところです。この点に関しては特に日本人はきっと学ぶべきだと思います。

私自身もそんなに精神的に強い方ではありませんが、それでも最近の若い人は正直周りからしたら大したことない内容で「この世の終わり」みたいな顔していると感じます。

良くも悪くも一個人はそれほど大きくは見ていませんし、若い人はもっともっと失敗をするべきだと思います。少なくとも私はたくさん失敗をして「あちゃー」と言いながらも、さらに壁に当たる人の方が交換を持てますね。

協和発酵キリン株式会社 代表取締役会長 花井 陳雄さん

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 画像は下記サイトから引用

協和発酵キリン - 役員一覧

 

【父の教え】人を巻き込み社会に貢献

  がん治療薬などの医療用医薬品メーカー「協和発酵キリン」(東京都千代田区)。社長の花井陳雄さん(60)は「世の中の役に立つ研究をしたい」と望んで大学で薬学を学び、入社後は長年、薬の研究開発に取り組んできた。正義感が強く世話好きだった父、久冨さんの生き方に影響を受けた結果だという。

 

 「子供時代の環境は『三丁目の夕日』の世界そのものだった」。懐かしそうに振り返る花井さんは、常に人の出入りがある活気のある家で育った。

 横浜・吉野町横浜市南区の一角)の商店街で戦前から洋品店を経営していた久冨さん。戦争中は通信兵として旧満州に赴き、戦後、空襲で被害を受けた店をゼロから再建した苦労人だ。

 ワイシャツの仕立ての腕に定評があり、固定客が何人もいた。職人が住み込み、お手伝いの女性や客などが頻繁に出入りするにぎやかな家庭だった。そうした中で久冨さんに最初に教えられたのは礼儀だ。

 「ご飯の食べ方や挨拶の仕方、立ち居振る舞い、言葉遣いなどを厳しくしつけられた。父に連れられて川崎球場に野球を見に行った際、人の席の前を走って自分の席に戻ると、『失礼しますと言って通るものだ』と叱られ、やり直しを求められたこともある」

 久冨さんは面倒見の良い人で、長く商店街の会長も務めた。祭り、餅つきなどのイベントや商店街へのアーケード設置を中心となって企画するなど商店街の活性化に力を注いだ。

 正義感が強く、「『商店街を守る』という意識も持っていた」。商店街絡みのいざこざで、こわもての人物が家に怒鳴り込んでくることもあったが、一歩も引かず、毅然と対応していたという。「当時は『そこまでやるのか』と思っていた」と苦笑いする。

 

 花井さんは現役で東大に合格するなど学業面は優秀で、「父に『勉強しろ』といわれた記憶はない」。人生や進路について話したこともほとんどなかった。覚えている唯一のアドバイスは大学2年のとき、3年以降の専門課程で学ぶ内容について話した際のものだ。

 「科学史を学びたい」と伝えると、「それでは食べていけないから、もう少し実学的なものをやった方がいい」。その言葉に従い、「世の中の役に立ち、社会に出て独り立ちできる」と考えて薬学部を選ぶと、今度は「それはいい」と賛成してくれた。

 新薬を作る研究は「医療に貢献できる素晴らしい仕事」だ。花井さんは入社後、体内に入った異物を攻撃する抗体の活性を高める「ポテリジェント」という技術を開発。この技術は同社の白血病治療薬の一つの開発につながった。

 研究スタイルは「社内、社外のさまざまな人を巻き込んでいく」というもの。「育った環境や周囲の人とワイワイ楽しくやるのが好きだった父の姿に影響を受けている」と明かす。

 地域社会に貢献することを生きがいとしていた父。自身は「社長として会社を成長させることで医療に貢献していきたい」と考えている。

 

 ≪メッセージ≫

 自分の体を動かしながら社会に役立つ仕事をしています。見守っていてください。

【プロフィル】花井陳雄

 はない・のぶお 昭和28年、神奈川県生まれ。東京大学薬学部卒。51年、協和発酵工業(現協和発酵キリン)入社。東京研究所研究推進室長、米バイオワ社長、協和発酵キリン取締役専務執行役員開発本部長などを経て、平成24年3月から社長。座右の銘は「信義を重んじる」。

 

2014年1月15日の記事から引用

www.sankei.com

 

【あとがき】

思えば礼儀を重んじそしてそれを子供に教える親御さんってすごく減ったと思います。公共の場所で騒いでも暴れても何も注意をしない、そしてそれを周りの人も当然に注意をしない。

ああ、空気を読むっていう風潮が悪い面に働いてしまったな、といつも思います。

そういった部分は我々先人が出来ない親御さんに代わりに、キチンと注意を出来る世の中にしないといけませんね。